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子育てと自分育て。娘も自分も成長期。


*写真はフリー素材から拾ったイメージです。。
*写真はフリー素材から拾ったイメージです。。

互いに再婚同士の妻との間に誕生した娘が早くも小学生となりました。

日々、娘の新たな生活のスタートにバタバタとしております。。

妻は中国出身で日本語が達者と言える訳ではないので、学校の事の大半は私がやらざる得ないという状況にあり、結構な重心がそちらに向いてる日々であります。


3月下旬から4月上旬に掛けては、入学や学童の手続き、説明会への参加、必要品の購入。書類の提出やら、あらゆる持ちモノへの名前の記入・・・等々、可成りの仕事量でした。

名前の記入は身につけるモノ全てに始まり、鉛筆一本、道具箱の中身の一個一個に記入しないと駄目で、しかも全て「ひらがな」。気を抜くと無意識に漢字で書いてしまったりするし、下手なりに綺麗に書いてあげないと可哀想なので、神経を尖らせつつの作業。。

長時間の重労働となりました。


そして、いざ学校生活スタート・・となると、毎日、持ち帰った書類や連絡帳をチェックし、明日の教材や持ち物をランドセルに入れてやり、明日の朝に向けてハンカチやティッシュ、名札を定位置にセットします。

昔と違い、毎朝、学童と学校へ出欠の連絡をそれぞれ別のアプリを使って欠かさず送る必要もあり、とても面倒です。

ランドセルはカラフルで軽くなっていて進化を感じさせてくれますが、それでも1年生のちびっ子には重たく、フラフラと歩く娘を心配しながら見送ります。


20年前、前妻との間の娘である長女が小学校に入学した時とは当然ながら大分変わってます。細かい記憶はないし、主には前妻がやってくれてましたから初体験と言っていい事ばかりです。

また、現妻は日本語が達者でないから、近所にママ友が居ません。なので、回りからの情報が入ってこないのが不安要素の一つです。ママ友がいたら、「あーした方がいい」とか、「一緒にあーしよう」とかって話にもなるのでしょうが、全てが手探りなのが困りモノです。


娘は娘で日本語の上達が遅いので、「明日、◯※△◻︎*って先生言ってた」と、急に言い出しても解読が困難。何回か聞き直したり、絵を書いたり、画像みせたりして、意図を探るも、結局勘で判断する様になる。。


毎日いろいろ大変・・・とは言え、世のシングルマザーやシングルファザーとは比べものにならないですし、現状、私の事業は比較的時間に自由が利く仕事ではあるので、この年で素晴らしい経験をさせて貰ってると、娘や妻に感謝しないとならない所ではあります。


そんなこんなな先日、朝の「旗当番」を初めて経験しました。

通学路の横断歩道等、危険箇所に親が立って、旗を持って横断を補助するのですが、そんな作業も初体験。見るとやるとでは・・・という経験となりました。


先ず、通勤時間帯の結構なスピードを出してる車の前に立ちはだかり、車を止めるのが以外と怖い。。子供達の歩くスピードを考慮しつつ、どこのタイミングでどの車を止めるかを判断するのも、状況によっては難しかったりします。

旗を持ってるので子供以外の横断歩道利用者も、「この人に従うべき」と考えて、こちらを見てる人と、全く無視する人に別れる。私が担当する場所は、十字路になってるので、歩行者が居なくても私の判断を待とうとする車もある。


「思ったのと違う・・」


となり、僅かな時間ですが子供だけでなく、その道の「交通整備をする人」と化すしかなく、意外な緊張感とともに任務を全うする事となりました。

軽く考えていたので、朝から予想外の疲労感を味わいました。


こういう事にも慣れてくるのでしょうし、娘も次第に自分で色々出来る様になるでしょうから、今、「ひとときの事」です。

明日の持ち物の準備、アプリを使った出欠確認の煩わしさ、旗当番の難しさ、ランドセルの重さ・・。それらは時の流れの中で無くなったり、慣れたりする事です。

数年先、娘の成長と共にすっかり忘れてしまう「出来事」や「思い」となります。


そんな事を考えると、「今」という時の大切さに気付かされます。


しかし、「今」は「今」しかないという当たり前のことの大切さ・・というのは、解っていてもなかなか実感して生きていく事が出来ていないのが実際の所です。

少なくとも私の場合はそうです。


自分にとって賭け値無しの存在と相対し、その為に何か行動したり、考えたりする時、そこには「今」しかない時間が流れていきます。必死だったりフォーカスしたりしていて、余計な事は考えていません。


しかし、そうではない時は・・自分の中の様々な感情や思考が「今」を湾曲させ、流れていく方向もそれに影響されていきます。ただでさえ、不安定な社会情勢において、メディアやネットには「不安を煽る」情報ばかりが溢れてます。不安はお金を生むので、この傾向はずっと続くでしょう。自分の「今」を湾曲させる罠が沢山張り巡らされ、今そこにある「大切なもの」に集中しずらい世の中です。


掛け替えのない大切なのもの・・・その一番がきっと「自分」なんでしょう。

「自分の事も大切に出来なくて・・」とか「自分を愛せない人間が人を愛する事なんて・・」という言葉はドラマのセリフや曲の歌詞によく使われます。

それはきっと一人では生きていけない人間という生き物の「真実」なんだと思います。


今の私が自信を持って「自分が一番大切な存在」と自覚出来てるか解りません。自分を愛してるか・・・よく解りません。他人や世の中に当たりたくなる事が少なくないので、おそらく上手く出来てないでしょう。

ただ、娘との時間は、その大切さを気づかせてくれてます。


そんなこんなで娘とともに成長期にあると痛感する高齢パパの雑想でした。

 
 
 

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