top of page

出版物流の世界と私 6



出版物流とはかけ離れた個人的な話が続いてしまいましたが、このストーリーがあって私の視点があるのも事実なので、綴っておきたかったのです。


さて、

先輩のお陰で、転職できた私は「おとなしく、でしゃばらず、真面目に」を心に刻み、ゆっくり会社に馴染んで行こうと心に決めていました。


私は、出版物ばかりを扱うセンターの副所長という役割を頂きました。

その会社は、洋書の取次店の下請け仕事から事業を拡大してきたという背景があり、洋書の出版社(=外資)の在庫管理をメインとしつつ、宅配料金の安さを武器にした印刷物の流通加工等も多く手がけてました。和書出版社のお客様は数社程度で、まだまだこれからという感じでした。


洋書流通の主役は「ELT」と言われる、大学や外語学校で使われる英語教材です。

つまり「学校採用品」。

春先に一気に出荷が爆発するという繁閑差の激しさが大きな特徴となります。

和書に置き換えて考えれば、専門書が類似した荷動きをする事になります。

よって、自分達の得意を活かすターゲットとして、専門書・医書に絞ったアプローチと、サービスを展開していました。


洋書出版社と和書出版社では在庫や物流に関する感覚、評価、重点が異なります。

海外から必要分だけが入荷されてくるので、パレットに雑多な状態で商品が納品されます。それをインボイスを元に検品し、仕分けます。当然、ISBNコードの国番号も様々、インボイスも現物表記も全て英語。破損汚損も多いので、品質も確認しないとなりません。

入荷検品の難易度は、製本所からしっかりと包みに梱包され、1点数千冊単位で入荷する和書とは比較になりません。

また、改装という概念もありません。ある程度汚くても色褪せてても全然平気です。


そして、お客様に恵まれたのか、洋書業界の特性なのか、会社の営業的な努力の賜物なのかはっきりしませんが、物流会社に対する「ビジネスパートナー」としての認識が和書出版社とは比べ物にならない位高いという印象を受けました。

シビアでありながらも互いに協業している・・という印象を持ちました。


洋書は当然、全て英語。尚且つ表紙が違っていても同じ商品として扱ったりします。

見た目で商品を判断するのが困難ですから、バーコード検品やロケーション管理といった技術の導入がとても早く、他の出版倉庫に比べ、出荷や在庫管理の精度も高ったといえます。この特性は、その時代の専門書・医書出版社へのアプローチに充分役立つものでした。


専門書・医書を中心とする荷主で構成される私の所属するセンターの最大の繁忙期は、採用品の出荷が一気に膨れ上がる3月になります。出荷量は平月の10倍以上となります。

センター全体にヒリヒリとした空気が充満し、自分の体力と精神力との戦いが続きます。

そして、そんな日々もそろそろ限界・・という頃に採用品シーズンは終焉を迎えます。


繁閑差がある仕事の良い所は、終わりが見える事です。

乗り切った・・という達成感を味わえるのは、マンネリ化しやすい物流現場の作業に良い刺激とモチベーションを与えてくれます。


初めての採用シーズンが終えた矢先、私は営業への転属を命じられました。

繁忙を過ぎれば確かに現場では余剰ですし、私の先輩は私の営業力を強くプッシュしてくれていたので当然なのかもしれません。


営業なので「おとなしく、でしゃばらず・・」は、解除する必要がありました。

私の存在意義を業績で示さねばなりません。

まずは、「転職しました」と言う事で、知古の皆様の元に挨拶回りに向かいました。


最初に伺ったのは、出版社の時にお客様になってくれた音楽系出版社さん。

タイミングが良かったのか、私の居た出版社からの値上げ要請で困っており、倉庫移管検討中。営業転属して最初のお客さんになって頂く事になりました。

再び、仕事が出来る事はとても嬉しい事でした。


それからまもなく、教育書の老舗出版社さんから問合せがあり、私が営業担当する事になりました。たまたま自社倉庫が私たちの会社の拠点の近くにあり、自社倉庫内の作業を任せられないか・・と言う内容の相談でした。


当時の会社にとっては、スケールの大きい仕事、且つ、先方の拠点での業務請負と言う事で、会社は未経験の分野。会社としては、眉唾な話のようで、余り乗り気ではない様でした。「お前がやりたいなら進めてみれば」・・・という様なスタンスでした。


結果、受注が決まりました。

会社は獲れると思ってなかったので驚きを隠せません。

「出来るのか?」「採算合うのか?」・・・疑心暗鬼な状態なまま、着々と準備を進めていく形となりました。


準備を進めてく中で先方の方向性・・・というか、計画スケジュールに変化がありました。「システム連携は取り敢えず後回し、現場業務請負に焦点」という物で、私はそれならそれでOK・・・という事で、中長期的な視野でその出版社さんとの関係を考えていました。


しかし、会社は、「この話断ろう」・・・と言う判断をしました。

それを上司から聞いた時、私は目が点になりました。


断る理由は「現場責任者が出来る自信がないと言っている」というものでした。

システム連携無し・・というのが当初の約束と違うというのが、表向きの理由です。

連携がないと、会社の手法を簡単に導入出来ませんから、辻褄は合います。


私は「私なら出来るので、私がやります。」と言って食い下がりました。

しかし、「この会社はお前の会社じゃない」・・という一言で、断念する事になりました。

担当役員と共に「話は無かった事に」という謝罪に行き、契約を破棄しました。


後から知るのですが、実は当時、大きめなセンターを新設し、数箇所の拠点を集約する計画が上層部では進行してました。現場責任者の「出来る自信がない」の前には「二つの大きなプロジェクトを同時に」という言葉が、本当はついていたと事になります。


それを知る由もない私は、

「出来る自信がない」・・・ってどういう事だ?

一回受注した大きな仕事を簡単に断るなんて聞いた事ない。。。

私は、何をどう売ったらいいのか判らなくなりました。


現場に断られる・・・という事があるなら現場を使わない。


そういう考えに至りました。

私は、協力会社を使った仕事のみを営業する事にしました。子供じみた反骨心とでもいいましょうか。当時の私はどうしても納得出来なかったのです。



                                            7に続く



Comments


©2023 by REYA PATEL. Proudly created with Wix.com

bottom of page