出版物流の世界と私 1
- zassoukh04
- 2024年9月3日
- 読了時間: 7分

約25年前、10年勤めた出版流通(取次店)のトップ企業を退社しました。
大きい会社特有の学歴と派閥が存在する世界。学歴もなければ、蔓延する派閥争いにも全く興味を持てず、社内政治的な事も苦手な私は、単なる歯車として生きて行く人生を選ぶ気になれず、自分の可能性に賭けたかったのです。
その時は、出版及び、物流の世界とは完全にサヨナラするつもりで異世界に飛び込みました。サラリーマンではなく、飲食店開業を試みて修行やら準備やら学校やらと、1年間進めてみたものの、自分の無知・甘さを痛感するに至り、挫折。再就職する事となりました。
選んだのは、歩合制の厳しい金融商品の営業。家族が居たので「手取り早く儲けよう・・」という単純な魂胆。当時の私は自分の能力を過信して余りある無謀な男でした。
なんとか歯を食いしばり、数えきれないテレアポや飛び込みを行っていると、成績も上がる様になり、それなりの収入を獲る様になりました。しかし、いつまでたっても全く肌に合わず、毎日が憂鬱。終いには鞄にウィスキーのポケットボトルを忍ばせて、時折グビっとやりながら仕事をする様な状態になっていました。
どんどん精神を病んでく私を見かねた当時の奥さんが「辞めていいよ」と言ってくれ、1年余でその会社を去りました。
度重なる挫折で、自分への自信を喪失した私は、「もうフォークリフトでも乗って、安月給でも穏やかに暮らそう」と、ハローワークで、フォークリフト免許を武器に、物流会社の転職先を探しました。募集書類に「正社員 フォークマン募集」とあり、同じ埼玉県で、車通勤可。土曜日が隔週で休み。「これでいいや」と、その会社を受けました。
私のキャリアに目をつけてくれ、その物流会社への転職が決まりました。
当時、その物流会社さんが力を入れていたのが「出版倉庫」の市場でした。
他にも色々手掛けている会社さんですが、「出版は儲かる」と判断し、営業活動は当然の事ながら、現場やシステムの強化にも力を注いでいました。
私は、倉庫管理の現場配属を希望して入社したのですが、配属は営業になってしまいました。トラウマに近い、厳しい営業を経験した直後、かつ、出版に携われば必ず、私が辞めた取次店と絡まざる得なくなるので、「また失敗した・・。」という気持ちは拭えず、入社当初は憂鬱な気分で出社していました。
しかし、上司に連れられて、受注した出版社とのミーティングに行ったり、現場やシステムの受入準備に携わって行くと、仕事がとても楽しい。
10年間勤めていた取次店でも見えなかった、出版業界の「現物の動き」が手に取る様に解る。返品を再生する「改装作業」の存在も初めて知りました。
仕事を進めて行く中で、自分の中で点だった物事が線になる瞬間を幾度も体感しました。
労働集約の物流の仕事は、飲食店経営や金融営業と違い、「個人」よりも「チーム」。
まさに「オール フォー ワン、ワン フォー オール」の世界でした。
取次店の物流現場もその感覚がなかった訳ではありませんが、大きすぎたし、若すぎて、自分が組織の中で、必要な「ワン」である・・なんて感じもしなければ、「オールの為」なんて事も考えた事もありませんでした。それが、物流会社に入社して僅か数ヶ月で、自分の仕事が全体に与える影響・効果を実感する事ができました。
営業とはいえ、現場にもシステムにも携わるし、作業着を着てパートさん達と一緒に作業もします。自分達で構築した業務、倉庫のレイアウト、協力会社や輸送部門との運用ルール決め、取次店との手続き・・・。皆が手作りで一つの新規業務を構築していき、業務が日に日にクオリティーを上げていきます。
お客様である出版社の担当者さんから「御社にして良かった」と言われ、お礼の会食会まで開いて頂いたり・・。仕事に初めてやりがいを感じました。
すっかり、出版倉庫事業にのめり込んだ私は、「自分で新しい出版社の契約を獲得したい」という気持ちが湧き立ち、営業活動に力を注ぎました。そして、色んな事を自然に吸収していきました。各出版社のジャンルで異なる流通特性や会社毎に異なる管理手法、それに伴う物流業務の工程、システム管理に必要な機能。出版社同士の相関図や、様々な業界団体の存在。出版社の営業職についてや、改めて学ぶ取次の存在意義と機能・・等々。1〜2年で、20代の10年間で得た出版業界の知識や、物流技術の量の何倍もの事を吸収させて貰いました。
当時、出版業界では、出版VANが浸透し、倉庫で代行出来るか出来ないか・・というのが、大きなサービスの差となってきていました。積極的にシステム対応力を強化して行く会社と及び腰の会社で差がつきました。今は前提条件となってる様な事柄も、出来る会社は限られていて、多少高めの料金だとしても、十分にメリットを感じて頂ける時代でした。
出版VANには倉庫側のメリットもありました。受注入力をしないで済むので事務オペレーションが大幅に楽になります。
他の出版倉庫と比べても、総合物流業者として、他業種で実践済みの事だった「システム対応力」は、売りの一つとなっていました。当時自社でシステム部門を持つ出版倉庫事業者はごくごく僅かな上に、他業種の商流に対応してきた知識や経験を持つエンジニアが居る会社は皆無でしたから、ずば抜けた対応力があったと言っても過言ではありません。
出版社間での口コミも広がり、契約出版社数は安定的且つ、速度を上げて増え続けていきました。そして、当時の私に密かな野望が芽生えました。
「取次店なしの流通サービス構築」です。
取次店機能をもった倉庫があれば、コスト的にも書店への供給スピード的にも大きなメリットが出せる・・。
物流機能以外の課題・・販促と精算。
当時は出版社さんの書店営業も今とは比較にならない力の入れようでした。出版社の営業の方が独立して「書店営業代行業」を行うのも盛んでした。なので、出版社の営業担当者さんでカバーしきれない部分は、営業代行業者さんと組んで行えば賄えると判断しました。
精算は、書店・出版社へのデータ提供で、入金管理は各々に任せればいい。
・書店と出版社とのシステム連携構築が可能。
・営業も書店営業代行さんと組めば問題なし。
・物流機能はお手のもの。
・精算は、版元と書店への受払いデータ提供。
出版業界では、90年代に挫折した「須坂計画」というのがありました。
出版社の共同倉庫構想で、マテハン会社が躍起になって纏め様としたものの、第三セクターの存在、版元同士の意見の食い違い、書店の目論見、終いには取次介入・・・で、実現に至りませんでした。政治を複雑に絡めると上手く行くものも上手く行きません。
それに須坂計画の弱点には、出版物流のプロが深く関わって無かった点も上げられると思います。取次は「在庫管理」をプロフェッショナル目線で出来ませんし、単独の版元同士は、複数版元の管理をどうれば、効率的かについてノウハウも技術得も有してません。
当時の自社で倉庫を管理運営している版元は、物流会社と比較した時に贅沢にモノとヒトを使っていたし、効率への意識が希薄でした。それよりも本を売る事に注力していたからです。まだまだ本は売り伸ばす戦略が多数あり、ミリオンセラーも出る様な時代でした。
出版倉庫以外の物流会社では、本ならではの物流特性を机上論でしか掴めない。
ケースやボール単位ではなく、冊単位で商品が動き、管理単位も冊。
カバーやスリップや帯があり、その付き物も管理しないとならない。
そして、短冊という存在がある。書店が書いた注文短冊が、全ての流通経路を通過し、本に挟まれた状態で書店に戻っていく。
返品は再生されるし、付録付きなんてのもある。付録と本誌は別々になった状態で入荷してくる。それをセットして収めるのは倉庫の仕事だったりする。
採用対象書籍は「刷り」数を管理する必要があったりもする。刷り指定で学校の受注に対応する必要があるから。これらを数値や文章だけで理解しようとしても無理。
実現できるのは出版倉庫事業を展開している企業・・・と考えました。
物流会社がサービスとして展開すればいい。
書店にとって、版元にとって有利なサービスや条件が提示出来る・・となれば乗ってくる筈。直感を確信にするためには収支予想。どの位のスケールが必要なのか。
業務の合間に、色々と計画を練り出しました。
計画書として上司や社長に提言するつもりで真剣に取り組みました。
そんなある日、ある人物と出会う事になります。
トランスビューという聞いた事のない出版社の工藤さんという方です。
彼から衝撃を受ける事になるのでした。
2に続く
Comments